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大嫌いな声 大嫌いな顔 大嫌いな性格
数えだしたらきりのないぼくの気に入らないところ。
全部全部肯定されるのは無理だってわかったから
裏垢なんて作って 吐き出す場所を創り出して
人の汚い部分を見ることに慣れてしまった。
自分の綺麗なところを見る癖がついてしまった。
幸せになりたいなんて大半の人間が言っていてもちろん僕もそのうちの一人で その中で
幸せってなんだろうって疑問を抱くのはほぼ100%
さらにその100%の中から幸せの定義を抱くことができる人間こそがこの世界の中での正解したら人なのだとしたら僕はテスト中にカンニングをする人間のようなものなのかなって
普通の幸せだと言われ試して
あ〜、まぁ確かに楽しいよねだとか嬉しいよねだとか思いつつまた素に戻って虚しくなる
友達と遊んで一人で帰る道のあの感じ
一時的な幸せって苦手かもしれないなんて気づいた
これがこうだからこうなんて大人からの押し付けと
それが習慣づいた人間がその習慣 常識を覆すことってとてつもなく難しいことで こうゆうことで悩む人が多いのはきっと固定概念の押し付けが苦しめてるんだと思う
育ってきた環境の中で当たり前って無数に存在するけどそれだって、例えば箸の持ち方だったり椅子に座る姿勢だったりこれも人それぞれで 呼吸のタイミング一つ100%同じな人なんかいない
でもそれでそのことを責める人なんかいなくて
これもその環境で当たり前のことなはずなのに
どうして考え方は責められるときがあるのか
目に見える当たり前と
伝えなきゃ見えない当たり前
人間ってなんにも見ようとしないんだなって
人任せも甚だしいこの世界でみんながみんな優しいわけじゃないからだからやっぱりどれだけ自分の事が嫌いな僕でも
僕しか本当の味方はいないから
もうなんなんだよ 気づきたくなかった
僕は僕が嫌いだ この世界も
ブログなんか初めて書くから日本語おかしいし
その場の脳死したテンションで書くから話の方向性おかしいけどもしこれを読んだ人がいたら許してな